「ニンニク餃子は美味しくないから四川では食べないよ。基本は”葉ニンニク”のギョーザ!!」
その衝撃の事実は時を遡ること2014年の冬、本場四川省に幾度となく足を運び、中国料理の一流シェフとして名を馳せていた銀座アスター元総料理長の久保木 武行シェフからの言葉で知ってしまった。
「嶋崎さん、今度貴方の葉ニンニクを使って面白いものを送るから楽しみに待っててね。」と、いつも優しく穏やかな表情で話してくれる久保木シェフ。
しかし、その表情と対照的に仕事や考え方の緻密さは、さも敏腕外科医か超エッジの利いた大学教授のようであり、そんなインテリ感溢れる出で立ちから送り出される美しい凄腕料理と人当たりの良さ、それでいて低価格というギャップが連なり、もはや恐怖感さえ感じてしまう。しかもそれでいて超絶に美味い!
そんな異空間を味わった数日後に弊社に送られてきたのが、木箱一杯に敷き詰められた葉にんにく餃子だった。
人生初めての食べ物に少し戸惑いながらも、自身が有機栽培した葉にんにくが何と餃子になって返ってきた。そりゃ興味が沸かないワケがない。早速焼き餃子にして一人食べてみる。
うっ、美味い。。。葉にんにくの爽やかでほのかな甘みと深い旨味が豚肉の旨味と絶妙に絡み合い、しつこくも無く何個でも食べられてしまう。社員に残すことも忘れ、気が付けば木箱全部平らげてしまっていた。。。
高知の伝統野菜としてネギの代わりにクジラや牛肉と一緒にすき焼きにして食べるとか、ヌタ和えにして食べるとかは知ってた。しかし中国の四川省ではまさか餃子の素材として定番で食べられているとは。。
ここで葉にんにくヌタの時と同じであったある疑問が即、脳裏に浮かぶ。
こんなに美味いのに、じゃあなぜ日本では広まっていないの??誰も商品化していないの??
その理由はその後、中国料理の鉄人 陳建一さんとの出会いで知ることになる。
家庭で作れてもビジネス的に作れない、作りたがらないモノ
当時、弊社の葉にんにくは新聞でも取り上げられるほど話題になり、特に“陳 建一”のブランド名を借りて点心等を製造販売している業者から、こぞって葉にんにくを仕入れたいと問い合わせが相次いだ。
しかし、しかしである。葉にんにくはそもそも冬しか収穫の出来ない季節野菜なのである。
それは何を意味するかというと、原料を長期保管しない限り、春・夏・秋は出荷できないということである。
特に食品製造を専門にしているの業者の場合、工場の稼働率を常に高く保ち、在庫を切らさず卸しや小売りからの信用失墜やペナルティを回避することが最優先であるため、原材料供給のムラはリスクの何物でもないのである。
つまり消費者にとって味は”美味しく”ても、製造業者にとってはビジネス的に”美味しくなかった”のである。
さらに鮮度落ちが早いため製造スケジュールの調整が超シビアになる実情など、これらの美味しくない理由を知るや否や、それまで新たな儲けの種に目をキラキラさせていた業者さん達は蜘蛛の子を散らすかのように去っていった。そして、気が付けば4年あまりの月日が過ぎていた。
四川では定番の餃子なのに日本では誰も一向に商品化しない。さぁどうしたものか。。。
誰もやらないのなら誰がやる? 俺がやる!?
ひさしぶりに蘇ってきたこの感覚。三つ子の魂百までというが、思えば私の人生は”誰もやらないのなら、俺がやる”の繰り返しだった。
幼少期から三度の飯よりクルマ好きだった私は、高校生になってもその病癖は変わらずゲームセンターに行ってはカーレースにのめり込んでいた。
1990年代、ゲーセンにあるようなハンドルやペダルがある本格的なハンドルコントローラーなんてものは、当時家庭ゲーム機用としては売っていなかった。自宅でどうしても遊びたいのなら、自らの手で作るしかない。
そうやって高校時代にロクに受験勉強もせず、お小遣いを全て使い切り半年を掛け自作したのがコイツである。
その後、社会人になり某自動車メーカーの開発者になってからもそう。
この世に存在しないメカや技術でどうしても欲しいのなら自らの手で作り出せばよい。
それから脱サラし、創業時に取り掛かったテーマの「葉ニンニクぬた」でも同じパターンだった。
冬に家庭や小料理屋で郷土料理として食べられても、季節外になると食べられない。
スーパーに売ってあるのは着色料で色だけ似せたまがい物の”葉にんにくぬた風”の調味料だけ。
という訳で、やはりここでも“この世に無いモノは自らの手で作るしかない”を選択し、4年半の開発期間を経て通年量産型の葉にんにくヌタを完成させる。ちなみに主原料の有機栽培から始まり、このヌタを通年で製造販売している業者は世界広しといえども弊社のみである。(2019年現在)
つまりは、モノや文化を新たに”創る”ことで世界を変え、自他共に使って喜びを共感するプロセスにこの上ない高揚感を抱く気質が私にはあるようで、それを天職にしているとつくづく実感する。
そんな流れの中で現れた次なるテーマが”葉にんにく餃子”だったワケである。
葉にんにくヌタの通年商品化に成功し、新しいモノ好きなベンチャー企業なのだから必然だったのかもしれない。
その方向性が決まると、人気餃子店の市場調査から始まり市販冷凍餃子のベンチマーク、料理研究家やシェフからの情報収集、そして葉にんにく餃子の試作を幾度となく繰り返す日々がしばらく続いた。
恩送りの形で次世代につないでいく使命感
作り方も定まってきて、ついに借金をして製造設備購入の大勝負に踏み切ろうかと悩んでいた時に、初めて私に”葉にんにく餃子”の文化を教え、そして食べさせてくれた恩師の久保木シェフが逝去される。
シェフからは常々「葉にんにくの良さを是非とももっと伝えていって欲しい」と激励されていたこともあり、拙いながらも恩師の想いを何とか形にしたいという使命感も、今回腹を決めた大きな理由である。
というような経緯で、元自動車開発者の私が数々の人生の偶然?必然?を経て、日本初の通年量産型「葉にんにく餃子」の開発に踏み切ったワケです。
さて次回は、その「葉にんにく餃子」市販化までの悪戦苦闘の開発秘話を紹介したいと思います。
最後まで拝読いただき有難うございましたm(_ _)m
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・アースエイド本店( / 高知県須崎市浦ノ内西分2622 / 営業時間:平日8:30~17:00)
・とさのさとアグリコレット( / 高知県高知市北御座10-10 / 営業時間:SHOPテイクアウト10:00〜19:00 年中無休(元旦を除く))
投稿者プロフィール
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株式会社アースエイド 代表取締役
特定非営利活動法人 日本綜合医学会 理事
2004年に自動車メーカーのマツダ入社。R&D部門にて開発統括業務、シャシー開発、次世代低燃費エンジン開発などに携わった後、2009年退社。
6次産業立ち上げに必要な農業技術や食品加工技術の開発、加工場建設や経営知識の習得に加えて現居住地の限界集落のブロードバンド化活動などを3年半掛けて行い、2012年に1人にて農業生産から食品加工、販売までを手掛ける「農産加工所アースエイド」を創業。
「健康的な食と文化の提供を通じて お客様に幸せを提供する」を基本理念とし、高知の伝統調味料「葉ニンニクぬた」の通年量産化に日本初で成功した事をきっかけに国内だけではなく、海外へも広めようと販促活動を行う。
現在はNPO法人日本綜合医学会の理事も務め、健康相談や食育講演活動を通じて「食の本質」を伝えることにも尽力し、ガン・糖尿病等の生活習慣病や精神疾患の患者を削減させ、医療費問題に貢献することを人生の目標としている。
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